フランス革命のその後の影響

フランス革命によって時代は近代へと突入します。

フランス革命はその後どのような影響を与えたのでしょう。

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アンシャン・レジームの崩壊

アンシャン・レジームの崩壊は革命の大義名分であり、また絶対的な目的であったとも言えるでしょう。

アンシャン・レジームとは古い体制を指す言葉であり、フランス革命とは切り離せない言葉です。

ヨーロッパは中世以降、封建制のもとで聖職者と貴族が優遇されており、フランスも例外ではありませんでした。

彼らが革命を機に亡命、その間に人権宣言か採択されました。

この人権宣言はアメリカ独立戦争に参加したラファイエットという貴族が起草したものでバージニア権利章典やアメリカ独立宣言に基づいているといわれています。

戦争への参加はフランスの利権に関わることだったとはいえ多額の借金を負い、革命に至らしめた国のものを参考にするとは皮肉なものです。

キリスト教

ヨーロッパでは聖職者は第一身分であり、フランス革命以前は国土の多くは聖職者、つまりはキリスト教カトリック教会が所有していました。

なので当然、革命によってその土地は特権とともにはく奪され国有化されました。

それと同時にキリスト教におけるカトリックも弾圧されます。

キリスト教ひいては教会派は中世から圧倒的な権威、権力を持っていたし、ヨーロッパの歴史において宗教と戦争は切り離すことはできません。

また識字率の低かったころの「知識の象徴」でもあり、教会の都合のいいようにことが進むことも少なくなく、神の代弁者と言われるその実態は腐敗していました。

18世紀に啓蒙思想が広がりその結果が革命となるのですが、当初は厳しく弾圧、というものではありませんでした。

国家レベルでカトリックが弾圧されるというのはヨーロッパでは異例のことではあります。

その結果、その後台頭するナポレオンの時代になるまでフランスでは反教権主義が続きます。

奴隷制の廃止と継続

フランス革命の前後の時代にはまだ奴隷貿易が行われていました。

フランスもこの貿易に深く関わっていた国のひとつで、カリブ海にあった植民地サン=ドマング(現在のハイチ共和国)は奴隷の労働によって成り立っていました。

フランス本国で革命が勃発し人権宣言が採択されたものの、植民地における奴隷の処遇は変わらず、それを不服として奴隷たちは主人たちに対して反乱を起こします。

混乱に乗じてスペインが介入しより一層混乱する中、多くの死者を出した反乱を早急に鎮静化しサン=ドマングを安定させるため、きわめて限定的ではあれどフランス本国は奴隷解放を宣言します。

政府が公に奴隷を解放するというのは歴史上これが初めてで、けっして人道的、人権的な観点からとは言えませんが、当時の植民地支配や奴隷制から考えると画期的なものでした。

こうした一連の動きはハイチ革命と呼ばれ、最終的にハイチ共和国が建国されます。

ですがこのハイチ革命によって奴隷制の廃止は植民地を失うことにつながるとし、フランスが本当の意味での奴隷制を廃止するのはもう少し先のこととなります。

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