フランス革命とナポレオン戦争にはどのような関係があるのでしょうか。
フランス革命は、今まで聖職者や貴族たちに虐げられてきた平民たちが立ち上がり、初めて国民軍というものを作り上げて社会構成を大きく変化させたものでした。
アンシャンレジームというものが崩壊し、王政が廃止され、共和政が成立したのです。
それならば、フランス革命とナポレオン戦争はいったいどのような関係性を持っているのでしょうか。
ここではフランス革命とナポレオン戦争について解説します。
ナポレオン戦争がいつ始まったのか
もともとナポレオン戦争というものは、1803年、フランス革命が終わった後の混乱の中、その混乱を治めるためにナポレオンが立ち上がりました。
彼はその混乱を収め、軍事的独裁権を成立させたのです。
つまり、その混乱に乗じて台頭したとも言うことができるでしょう。
そのため、ナポレオン戦争というものはフランス革命の混乱の最中に始められたものであり、その混乱がなければ始まらなかったものだったのかもしれません。
フランス軍を率いたナポレオンはスペイン独立戦争とロシア遠征で敗退し、失脚しました。
ナポレオン戦争の影響
ナポレオンがエルバ島を脱出した後、各国で妥協が行われ、ウィーン議定書が合意されました。
つまりナポレオンが失脚した後は戦勝国によって神聖同盟が締結され、ウィーン体制下に敷かれることになったのです。
ナポレオン戦争が起こっている間、民主主義など現代の理念にも近い見解を述べた人権宣言を基にした考えがヨーロッパ各地に波及し、さらにそれらの植民地にも広がっていきました。
そのような革命思想は1848年革命の基盤にもなったと考えられています。
ヨーロッパの国々が主権国家になっていく中で、ナポレオンのヨーロッパ統一の夢は崩れ去ったのです。
つまり、ナポレオン戦争はフランス革命によって打ち破られたとも言えるでしょう。
フランスのその後
フランス革命の後は王政が廃止され、共和政が訪れたフランスですが、その後はジャコバン派が台頭して恐怖政治が行われるなど、その政治形態は二転三転していました。
ナポレオンが失脚した後はアンシャンレジームが復活し、王党派とナポレオン派に分かれるようになったのです。
もちろん王政を重視したやり方はうまくいかず、彼らは七月革命で倒されました。
まとめ
いかがでしょうか。
フランス革命とナポレオン戦争は確かに違う時代に起こったものですが、少なからず影響を与えあっていると言えます。
特にフランス革命の混乱の最中、ナポレオン戦争が始まり、人権宣言の理念はナポレオンの時代さえも打ち砕いたと言えるでしょう。