フランス革命が貴族に対して起こった革命だったというのは本当なのでしょうか。
フランス革命と言えばマリーアントワネットがお金を湯水のように使ったことにより、怒りを覚えた平民たちによって殺害された、いうイメージを持っている人も多いかもしれませんね。
「パンがないならお菓子を食べれば」という台詞もよく知られています。
それならば、フランス革命というのは貴族のどのような対応に対して起こったものとも言えるのでしょうか。
ここでは貴族の行動について解説します。
贅沢な生活
もともとベルサイユ宮殿というのはルイ14世の時代に建てられたものであり、それは絶対王政の象徴でした。
きらびやかなベルサイユ宮殿には2,000人を超える貴族が暮らしていたと言われており、例えば身分によって便器の形が違ったり、身分の高い貴族がマリーアントワネットに直接下着を渡すことができるなど、到底無意味に見えるようなことではありますが、貴族の間ではプライドの塊であるようなしきたりが残っていたのです。
そして彼らは毎晩のようにパーティーを繰り返し、非常にお金をかけた生活をしていました。
マリーアントワネットもそのような事に興じていた1人であり、ファッションに精を出していたとも言われています。
財政危機
かといって、フランス王室が財政的に豊かだったのかと言われればそういうわけではありません。
実は当時のフランス王室は財政危機を抱えており、特にアメリカの独立戦争を支援した後は歳入の9倍もの借金を抱えていたと言われています。
しかし、貴族たちは贅沢な生活を止めることができず、彼らはその分は平民から税金として取り上げれば問題ないと考えていました。
しかし、平民からの税金だけでは補うことができなかったのです。
1785年頃からフランスは農作物の不況に悩まされていました。
これは1783年に起こったアイスランドのラキ火山の噴火によると考えられていますが、食料がなかったため物価が高騰し、人々は苦しい生活を強いられていたのです。
マリーアントワネットの首飾り
平民は苦しい生活を強いられている最中、貴族たちが贅沢な生活をしているということでその怒りの矛先はマリーアントワネットに向かいました。
マリーアントワネットを風刺した絵が書かかれるようになり、マリーアントワネットを赤字夫人と呼ぶようになったのです。
そんな中、彼女への怒りを決定付けた出来事がマリーアントワネットの首飾りというものでした。
彼女はいらないと言っていたのですが、マリーアントワネットが購入したふりをしてダイヤの首飾りを購入し、それを売り捌こうとした詐欺事件が起こったのです。
これに加担した人たちはマリーアントワネットが望むほどの刑罰を受けることがなく、むしろこれは「こういう詐欺事件が起きてしまうほどマリーアントワネットは浪費していた」といったイメージを人々に植え付けてしまったのです。
まとめ
いかがでしょうか。
フランス革命というとどうしてもマリーアントワネットの生活ばかりが取り沙汰される傾向にありますね。
彼女自身は家庭的なオーストリアの宮殿から嫁いだ身であり、寂しさを紛らわす落としていたとも言われています。
もしも彼女の新婚生活が少しでも違ったならば、結果も違ったかもしれません。