フランス革命によって、市民階級はどのように変化したのでしょうか。
市民階級というのは、当時のフランスにおける第3身分のことを指します。
当時のフランスでは、第3身分は人口の98パーセントを占めていました。
残りの2パーセントを占めていた聖職者と貴族という特権階級がこの第3身分である平民を牛耳っていたのです。
それならば、フランス革命における市民階級の変化とはどのようなものだったのでしょうか。
ここでは、市民階級の変化について解説します。
市民階級が立ち上がった!?
フランス革命の発端はバスチーユ牢獄の攻撃でした。
財政破綻に陥ったフランス王室は特権階級である貴族からも税金を取ろうとして、貴族から反発を受けたのです。
その結果、ルイ16世は1614年以来の三部会を召集しようと決めました。
しかし、投票数に不満を感じた平民たちが立ち上がり、ルイ16世は三部会を閉会する必要性に迫られたのです。
しかし、それに満足しなかった平民たちは近くの球戯場に行き、議論を続けました。
そこで彼らは自分たちこそ国民の代表である、自分たち平民こそフランス人である、と考え、憲法が制定されるまで決して解散しないと誓い、国民議会を作り上げました。
このようにして市民階級は自分たち自身がフランス人であるという自覚を持ち、政治的に権力を持つようになったのです。
人権宣言の発布
1789年、憲法を制定するための第一段階として人権宣言が発布されました。
人間の自由や平等などについて盛り込み、17条から出来上がっています。
1791年に最初の憲法が出来上がったときは、前文にこの人権宣言が盛り込まれました。
市民という概念は15世紀から16世紀にかけてヨーロッパで出来上がった考え方ですが、この人権宣言はその市民、人権、という考え方を明確にしたものと言えるでしょう。
もともと1776年のアメリカ合衆国独立宣言をヒントにしたものでもあり、現代に続く思想を打ち出したものとも言えます。
王政を廃止
聖職者と貴族に虐げられていた市民階級の人々は、最終的に王政を廃止するということに成功しました。
もともとはルイ16世とマリーアントワネットに同情的だった人もいましたが、彼らがヴァレンヌ逃亡事件を起こしたことにより革命の行き先は大きく変わったのです。
国を捨てて逃げるなんてそれでも国王か、という市民階級の怒りも手伝い、彼らは石を裁判においてルイ16世とマリーアントワネットの処刑を決断しました。
そして彼らをギロチンで処刑することにより、王政が廃止され、共和政がやってきたのです。
まとめ
いかがでしょうか。
フランス革命を経て、市民階級の人々の立場は大きく変わりました。
もともとは税金を搾取され、生きるのにも大変だった人々が、自分たちを虐げていた聖職者や貴族を倒し、社会制度そのものを変えてしまったのです。