フランス革命において貴族の子供はどうなったのか

フランス革命が起こったことにより、貴族の子供はどうなったのでしょうか。

フランス革命が起こった当初、フランスにはアンシャンレジームというものがありました。

身分は3つに分けられており、聖職者、貴族が国民の2パーセントを占め、98パーセントが平民を占めていたのです。

フランス革命というのは、その第3身分であった平民たちが立ち上がった革命でした。

これによって貴族や聖職者たちの中には処刑されたものもたくさんいます。

それならば、貴族の子供きはどのような影響があったのでしょうか。

ここでは、フランス革命と貴族の子供、特にルイ16世とマリーアントワネットの息子について解説します。

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目次

ルイ17世の即位

ルイ16世とマリーアントワネットの次男、ルイ・シャルルは兄がなくなったことにより王太子になりました。

そんな中でフランス革命が起こり、8月10日事件以降はルイ16世とマリーアントワネットら家族とともにタンプル塔に幽閉されていました。

しかし、父であるルイ16世が処刑されたことにより、王党派はこのルイ・シャルルを新しいフランス王、ルイ17世だとみなします。

ルイ16世が処刑されたときにはマリーアントワネットが息子の前に跪き、「国王崩御、国王万歳」と言い、お辞儀をしたと言われています。

体調を崩す

16世が処刑されロベスピエールによる恐怖政治が続くようになり、タンプル塔への待遇は徐々に悪化していきました。

高熱と腹痛を訴えたルイ17世のためにマリーアントワネットは診察を要求しますが、なかなか受け付けてはもらえなかったのです。

1793年7月3日、ルイ17世は母マリーアントワネットから引き離され、ルイ16世が使っていたの部屋に移動させられました。

そして、後見人間教育係として命令された文盲の靴屋の下で生活するようになりました。

貴族的な物を忘れ、良きフランス国民となるための再教育が行われました。

喪服を脱がせ、革命党員の制服を着せ、王室に批判的になるように教育されたのです。

虐待

しかし、徐々にその教育には虐待が加わるようになりました。

自分の使用人として雑用を行わせたり、体調が悪くなるまでお酒を飲ませたり、暴力を振ったりする事は日常的だったと考えられています。

また、当時ルイ17世は8歳でしたが、売春婦に強姦させ、性病に感染させたという事実も残っています。

その後はルイ17世をほとんど光の入らない不潔な部屋に押し込め、トイレや室内を便器さえも置くことがありませんでした。

当時は下痢が慢性化していましたが、誰にも面倒を見られることがなかったと言われています。

最終的にルイ17世は新たな主治医のもとで治療を受けますが、良くなる事はありませんでした。

まとめ

いかがでしょうか。

一般的に貴族の子供たちが命を落とすことはあまりなかったと考えられています。

しかし、ルイ16世の息子だけは別でした。

生きている間、母と叔母が処刑されたということを知らなかったルイ17世は、独房に入れられていたときに壁に母に送る言葉を書きかけていたり、散歩に出たときには花を摘み、既に住民がいない母の部屋の前に置いたというエピソードも残っているのです。

いつの時代も、大きな被害を被るのは子供なのかもしれません。

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