フランス革命では革命が起こる前の段階で国家財政の危機から議会の召集がかかりました。
それが身分制議会であった三部会であります。
三部会とは何か、またその成果はどのようなものであったのでしょうか。
三部会とは
三部会とは正式には「全国三部会」と言い、その起源は中世に遡ります。
1302年、カトリック教会が派遣した十字軍の失敗で教皇の影響力が低下しており、フランス国王のフィリップ4世と対立していました。
このときフランス王が国民を味方につけようと、第一から第三までの各身分の代表を召集したのが始まりとされています。
各身分にはそれぞれ1票の議決権を与えられていました。
その後イギリスとの百年戦争のついてやフランス内での宗教戦争であるユグノー戦争についてなど、計21回開催されたと言われています。
しかし15世紀に入りフランスは絶対王政の時代に突入したため、三部会の意義も薄れてしまいました。
最後の三部会
フランス革命直前の革命前夜と呼ばれている時期ではフランスの国家財政は危機的状況にありました。
そのためこのときの三部会の議題は特権身分からの徴税の是非でした。
この議題に身分ごとに1票の議決権だと第一と第二の特権身分に圧倒的に有利であり、不平等は変わらず彼らの特権は維持されてしまい、財政は破綻してしまいます。
そのためブルジョアジーで構成される第三身分から多大な反発があり議会が行き詰ってしまいました。
議決権をめぐって議会が進まない中、第三身分の代表者たちは独自に会合を開き、そこにリベラルな第一、第二身分の代表者が合流するようになります。
この革命議会は国民議会と呼ばれ、後に憲法制定国民議会と称されるようになります。
フランス革命によって身分制度は無くなります。
結果的に三部会はこのときを最後に開かれることはなくなりました。
三部会から国民公会へ
三部会の混乱によって経済的な不平等だけではなく政治的な不平等も浮き彫りになりました。
そうした中で第三身分の代表者たちは、自分たちこそ国民の代表である、という意識を持つようになりました。
しかし彼らもまたブルジョアジーという、言わば恵まれている側の人たちであり限られた一部の市民層でした。
よって立法議会までは人権宣言の基本理念は踏襲しても限定的であり、それは従来の特権身分がブルジョアジーに代わったに過ぎず、多くの平民は政治的不平等が続いたままでした。
三部会は国民議会から憲法制定国民議会となり、立法議会を経て国民公会となり、そこでようやく王権の廃止や共和制の施行、普通選挙が実施されるようになりました。
三部会の成果はその混乱によって最終的に国民が政治に関わる、国民主権の民主主義的な市民社会を成立させたことだと言えるでしょう。