革命が起こったからといって、王政が共和制にならなければいけなかったというわけではありません。
例えば、革命によって国王と王妃が処刑されたというのはフランス革命の特徴の1つです。
なぜならば、イギリスで起こった清教徒革命や名誉革命では王家がうまく対応したため、革命がそこまで大きくなることがなかったのです。
それならば、フランス革命において王政が廃止され、共和制になったきっかけというのは一体何だったのでしょうか。
ここではそのきっかけについて解説します。
国民議会の成立
もともと財政的に困難な状態にあったフランス王室は特権階級である貴族からも税金を取ろうと考えました。
その是非を問うためにルイ16世は、1614年ぶりの三部会の開催を決めました。
この三部会に満足しなかった第3身分の平民たちは、その後近くの球戯場に行き、国民議会を成立させたのです。
彼らは自分たちこそが国民の代表である、自分たちモンテスキューの三権分立、こそがフラン国民である、という意識を強め、憲法が制定されるまでは絶対に解散しないということを誓いました。
彼らの意思が強かったために、共和制が訪れたと言えるでしょう。
啓蒙思想の広がり
当時のヨーロッパでは啓蒙思想というものが広がりつつありました。
ロックの抵抗権、モンテスキューの三権分立、ルソーの社会契約説は画期的な人権だと考えられ、ヨーロッパで受け入れられつつあったのです。
特にロックの抵抗権はアメリカ独立宣言においても大きな影響与えました。
三権分立は今でも多くの国々の憲法に採用されていますし、特にルソーの社会契約説はフランス革命におけるフランス人権宣言に最も大きな影響与えたと考えられています。
このように啓蒙思想が広がりつつあったということも、タイミングとして共和制を迎えるきっかけになったと言えるでしょう。
ヴァレンヌ逃亡事件
フランス革命が始まったときには、まだまだ国王と王妃に対して同情的な考えを持っている人たちも少なくはありませんでした。
確かに彼らはお金を湯水のように使っていましたが、それでも自分たちの国の国王ですから、このころはまだその国王を自分たちで処刑することになるなど考えてもいなかったことでしょう。
しかし、ヴァレンヌ逃亡事件が起こったことにより、国民たちは国王に裏切られた気持ちを持ちました。
国を捨てた国王ということで彼らはタンプル塔に幽閉されます。
国を捨てる国王なんかいらない、という意識が共和制を成立させたとも言えるでしょう。
まとめ
いかがでしょうか。
フランス革命において王政が廃止され、共和制が迎えられたのは偶然ではありません。
確かに革命によって共和制になったのですが、その背景で様々な出来事が同時に起こったことにより、共和制を迎えることになったとも言えるのです。