フランス革命におけるヴェルサイユ行進とは一体なんなのでしょうか。
当時のフランスにはアンシャンレジームという体制がありました。
聖職者と貴族が特権階級であり、平民が税金を支払うなど、国のために重要な役割を果たしていたのです。
しかし、そんな中でヴェルサイユ行進というものがありました。
それは一体なんなのでしょうか。
ここではヴェルサイユ行進について解説します。
ルイ16世をパリに連行
ヴェルサイユ行進というのは、不況に間パリの市民たちがベルサイユ宮殿に押し掛け、ルイ16世をパリに連行した事件を指します。
この当時、フランスは穀物がなかなか実らず、人々は食料品の価格高騰に苦しんでいました。
そんな中でもベルサイユ宮殿では豪華な生活がなされており、人々はそこに怒りを覚えたのです。
1789年10月5日、約7,000人の主婦がパリの広場に集まり、ベルサイユ宮殿に行進しました。
ラファイエットに率いられ、最終的には約20,000人の市民が後を追ったと言われています。
国王はどうなったのか
ルイ16世は狩りを好んだと言われていますが、この日もルイ16世は借りに出かけていました。
そのため、民衆がベルサイユ宮殿に押しかけたときにはルイ16世がおらず、民衆は4時間近く国王を待ったと言われています。
国王は大勢の民衆に恐れ、パンの配給を決めました。
しかし、翌日未明には武装した市民が宮殿に乱入したことにより、民衆は暴徒となってしまったのです。
これによって人々はルイ16世を拘束し、彼をパリに帰還させました。
このとき、スイスの傭兵部隊が国王を助けようとして近衛兵が数名殺害されたと言われています。
「パンがないならケーキを食べればいいんじゃない?」
ヴェルサイユ行進が起こったとき、マリーアントワネットが「パンがないならケーキを食べれば」と言ったという逸話があります。
しかし、現代の歴史学によれば、これはマリーアントワネットの発言ではないと思言われています。
また、このセリフはフランス語の訳ですが、フランス語によればこのパンというのはブリオッシュのことであり、ブリオッシュというのはバターと卵を使った甘いお菓子のことを指します。
当然ながら、当時の庶民たちが食べられるようなものではありませんでした。
まとめ
いかがでしょうか。
ヴェルサイユ行進というのは、特に女性が中心となって行ったものだと言われています。
家族に十分な食事をさせることができなかった女性たちは皆で立ち上がりました。
それによって国王をパリに連行したのです。