フランス革命は選挙にどのような影響与えたのでしょうか。
1789年、テニスコートの誓いによって国民議会というものが出来上がり、彼らは1791年憲法を作り上げました。
1791年憲法では男性普通選挙が行われ、それによって選ばれた議員が立法議会を作り上げるなど、フランス革命によって戦記は大きく変化していくのです。
それならば、実際に選挙はどのように変化していったのでしょうか。
ここでは、フランス革命の後の選挙について解説します。
8月10日事件
フランス革命が進んでいく中、1792年8月10日に民衆がテュイルリー宮殿に侵入し、王室一家がタンプル塔に幽閉されるという8月10日事件が起こりました。
その翌日、議会で1791年憲法を下にした男性普通選挙が行われたのです。
しかし、これは具体的には21歳以上、居住1年以上の男性であり、貧民救助を受けていないものに限られていました。
さらにこれは直接選挙ではなく、間接選挙でしたから、今現在から見れば普通選挙法とは言えないかもしれません。
しかし、この選挙は当時としては非常に画期的であったと言われています。
フランスによる普通選挙制度
ロベスピエールが処刑され、ジャコバン派が追放された後、1795年憲法というものが出来上がりました。
これは共和暦第3年憲法とも言われ、男性普通選挙が否定され、直接税納付者のみが選挙権を有するという制限選挙に戻ってしまったのです。
もともと、王政が復活した後のフランスでは貴族院の世襲制に対して下院の代議院が作られましたが、その選挙権には財産制限が設けられていたのです。
しかし、フランスにおいて産業革命が進行したことによって労働者階級が作られると、普通選挙を求める選挙法改正運動というものが徐々に激しくなってきました。
第二共和制における選挙
7月王政が倒され、1848年には2月革命が起こりました。
それによって6ヶ月以上同じ市町村に住んでいる21歳以上の全ての男性に選挙権が与えられたのです。
これによって制限選挙が普通選挙に変わりました。
さらにこれは直接選挙であり、この普通選挙、なおかつ直接選挙のもとで4月普通選挙というものが実施されたのです。
これが男性普通選挙の本格的なものとなりました同じく1848年11月には第二共和制憲法が制定され、ここでも男性普通選挙制というものがしっかりと規定されることになったのです。
まとめ
いかがでしょうか。
フランスでは憲法や法律が二転三転したことにより、選挙性というものも大きな変化を遂げました。
しかし、今の選挙制度から見るとまだまだ違和感があるものであったとしても、当時のフランスの選挙性というものは極めて画期的であったと言えるのです。