フランス革命が近代市民社会をもたらした理由3選

フランス革命が近代市民社会というものをもたらしたのは一体なぜだったのでしょうか。

フランス革命というと1789年という遠い昔に起こった革命ですが、それでも現代に大きな影響与えた革命の1つといえます。

これによって近代市民社会がもたらされ、今の社会が出来上がったとも言えるでしょう。

それならばフランス革命が近代市民社会というものをもたらした理由は一体なぜだったのでしょうか。

ここではその理由について解説します。

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絶対王政の反発

15世紀のヨーロッパは、絶対王政というものが広がっていました。

フランスにおいてももともとは全国三部会というものが開かれていましたが、15世紀から絶対王政が中心となり、平民の意見に聖職者や貴族たちが耳を傾けるなどということが起こらなかったのです。

しかし、農業がうまくいかず、人々が食べるものに困り、国家として財政困難な状況に陥った時に平民から税金を取ろうとした貴族たちは平民から強い反発を受けました。

同時に特権階級にあった貴族からも税金を取ろうとし、貴族たちからも反発を受けたのです。

それによってフランス革命が起こり、絶対王政が廃止されました。

国王は王権を取り上げられ、共和政が訪れたのです。

絶対王政というシステムに反発が起こったからこそ、近代市民社会が訪れたのです。

啓蒙思想の広がり

この頃のヨーロッパでは、ロックの抵抗権、モンテスキューの三権分立、ルソーの社会契約論という啓蒙思想が広がりつつありました。

つまり、人権という理論が出来上がりつつあったのです。

この啓蒙思想の広がりもフランス革命に大きな影響を与えたと言えるでしょう。

また、1789年にフランス革命が起こる直前、アメリカでは合衆国独立宣言というものが発布されていました。

これにもこの啓蒙思想というものが影響しており、この独立宣言もフランスの人権宣言に大きな影響を与えたと言えるのです。

この啓蒙思想の広がり、人権の広がりこそ、近代市民社会をもたらしたものと言えるでしょう。

ナショナリズムの誕生

もともと、この頃のヨーロッパは今のような国境線で分かれていたわけではありません。

例えば、今のドイツは神聖ローマ帝国の1部とプロイセンと王国の1部であり、今のようなドイツというものは存在しなかったのです。

また、自分はこの国の人間であるという国民主義の考え方も存在しませんでした。

しかし、第3身分であった平民が自分たちの生活を守るために立ち上がったことにより、ナショナリズムが誕生したのです。

まとめ

いかがでしょうか。

この頃はフランスの啓蒙思想が発展していたことにより、人権というものが意識され始めた時代でした。

ですから、フランス革命だけが近代市民社会をもたらしたというわけではありません。

しかし、フランス革命は現代につながる重要なきっかけとなったと言えるでしょう。

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