フランス革命が起こったことにより、市民社会はどのように変わったのでしょうか。
フランス革命が起こるまでのフランスは絶対王政でした。
さらにアンシャンレジームという体制が成り立っており、1番身分が低かった貧民は身分の高い聖職者や貴族たちに歯向かうことができなかったのです。
それならば、フランス革命において市民社会はどのように変化したのでしょうか。
これは革命による市民社会の変化について解説します。
国民議会が成立した
フランス王室は財政的な問題に頭を悩ませていました。
そのためルイ16世は身分からも税金を取ろうと考え、三部会の招集を決めたのです。
その結果テニスコートの誓いが起こりました。
これは会議に満足しなかった平民たちがベルサイユ宮殿のテニスコートに集まり、さらにそこに平民たちに同意した第一身分と第二身分の議員が加わり、自分たちこそが国民の代表である、自分たちこそがフランス人である、憲法を制定するまで決して解散しない、ということを決意し、国民議会というものを作り上げたのです。
これによって市民社会が政治の力を握ることになりました。
もちろんフランス革命が終わった後も政治体制は二転三転しますが、これによって一般市民が政治に参加できるようになったのです。
啓蒙思想を実現させた
当時のフランスには啓蒙思想というものが入り始めていました。
ロックの抵抗権、モンテスキューの三権分立、ルソーの社会契約説は社会科の授業でも習うほど有名なものですよね。
このような考え方が当時のヨーロッパで普及し始めており、これはフランス革命にも大きな影響を与えたと言われています。
特にルソーの社会契約説はフランス人権宣言にも影響与えました。
自分たちには権利がある、人間は平等でなければならない、という考え方が一般的になり始めていたのです。
王政が廃止した
フランス革命が起こった後はフランスの政治体制が二転三転しますから、王政が廃止したといっても、その後の共和制の最中に恐怖政治が訪れるなど、様々な変化が起こります。
しかし、フランス革命によって王政が廃止したということも市民社会の変化と言えるでしょう。
革命によって王室の人間が処刑されたというのはフランス革命の特徴の1つです。
それほどまでに彼らは怒りを覚えており、王室の人間は楽観的であったとも言えます。
しかし、フランス革命によって確かに主生が廃止され、共和制になったという事は大きな変化と言えるでしょう。
まとめ
いかがでしょうか。
フランスの市民社会はフランス革命によって大きく変化したといえます。
ただし、この後も再び王政が復活しますから、似たような状況が返ってくるわけですが、それでも人々は近代社会に向けて歩み出したと言えるでしょう。