フランス革命でアメリカが中立を保った理由とは

フランス革命でアメリカが中立を保ったということを知っているでしょうか。

アメリカでは1776年に独立戦争が起こっており、このときはフランスが植民地側に参戦しています。

もともとイギリスとは仲が悪かったフランスは、イギリスに対して独立しようとするアメリカの味方をしたのでした。

しかし、それにもかかわらずその直後に起こったフランス革命でアメリカは中立を保ったのです。

それはいったいなぜなのでしょうか。

ここではアメリカが中立を保った理由について解説します。

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フランスは植民地の味方

1775年4月19日から1783年9月3日まで、アメリカでは独立戦争が起こっていました。

アメリカ東部にあったイギリス領13の植民地がイギリスに対し、独立を挑んだのです。

1778年、アメリカがサラトガの戦いに勝利した時、フランスはアメリカ側で参戦しました。

アメリカ軍とフランス軍はヨークタウンの戦いでイギリスに勝利し、実質的な戦闘を終了させたのです。

これによって1783年、アメリカとイギリスはパリ条約を結び、独立戦争は終結しました。

これによってアメリカ合衆国というものが出来上がったのです。

つまり、フランスはアメリカ独立戦争において決め手となる戦いに勝利した国家なのです。

アメリカの中立

アメリカ独立戦争にフランスが参戦し、アメリカが勝利を収めていることから、当然ながら1789年にフランス革命が起こったとき、フランスはアメリカに3,000も求めました。

しかし、アメリカは中立を保ちました。言い換えれば、アメリカはフランスの味方をしなかったのです。

これは孤立主義とも呼ばれており、アメリカ合衆国が原則とした外交政策の1つです。

もともとは初代合衆国大統領ジョージワシントンが辞任する際、「世界のいずれの国家とも永久的同盟を結ばずにいくことこそ、我々の真の国策である」と述べたことから始まります。

不干渉が原則

もともとイギリスの植民地としてヨーロッパの干渉を受けてきたアメリカは、アメリカが権益を持っている南米アメリカ大陸以外の地域に関しては干渉しない、干渉されない、という原則を決めていました。

そもそもアメリカは太平洋や大西洋を超えた国々と軍事的な関わりを持つ必要がなく、もともと移民国家であるため、不必要な内戦が起こらないようにするためにも重要な政策だったのです。

つまり、孤立主義というのは単独行動主義と言い換えることもできるのです。

この考えは第5代合衆国大統領モンローによって1823年の年次教書演説で発表されました。

モンロー宣言、モンロー教書と呼ばれることもあります。

まとめ

いかがでしょうか。

フランス革命でアメリカが中立を保った理由は、独立したばかりの新しい国家として、不必要な内戦を防ぐためでした。

そもそもイギリスから独立したばかりなのにヨーロッパの国を助けるために戦争に加われば、また新たな騒動に巻き込まれる可能性があることを危惧したのことだったのです。

しかし、いずれにせよフランスにしてみれば、青天の霹靂だったに違いありません。

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