フランス革命において、ナポレオンとロベスピエールは一体どのようなことをしたのでしょうか。
フランス革命というと、ルイ16世とマリーアントワネットが処刑されたというイメージを持っている人もいる事でしょう。
しかし、フランス革命はそれだけでは終わりません。
王政が廃止された後、フランスには共和制が訪れます。
しかし、ロベスピエール率いるジャコバン派が台頭し、最終的にはナポレオンが力を持つようになるのです。
ここでは、フランス革命におけるロベスピエールとナポレオンについて解説します。
目次
ロベスピエールの台頭
ロベスピエールはルイ16世の処罰を決める国民公開において、ルイ16世を即刻処刑するべきだと唱えています。
1789年に第3身分として政治の世界に入り、ジャコバン派に属しました。
この頃は死刑廃止法案を提出するなど、後のイメージからはなかなか想像しにくい活動をしていました。
サンキュロットの支持を得て、1793年には国民公会からジロンド派を追放して権力を握ります。
この頃から恐怖政治が始まり、反対派を躊躇することなくギロチンにかけました。
しかしフランス革命戦争が一段落つき、国内が落ち着きを取り戻した時、恐怖政治に嫌悪感を抱き始めていたテルミドール派によって逮捕され、処刑されました。
ロベスピエールの処刑により、恐怖政治は終わったのです。
ナポレオンの台頭
白馬に乗っている姿が有名なナポレオンは、もともとフランス革命には関心がなかったと言われています。
ロベスピエールが処刑した時、ナポレオンはロベスピエールの弟、オーギュスタンとつながりがあったことから逮捕されました。
総裁バラスに任命されてイタリア方面軍の司令官となり、フランス革命戦争を拡大させていきます。
第一次対仏大同盟を崩壊させ、フランス革命戦争はナポレオン戦争へと変わっていきました。
統領政府の第一統領となり、アミアンの和約でイギリスと講和します。
国内においてもフランス銀行設立して経済を安定させるなど、様々な活躍をしました。
1802年にはフランスの最初の憲法、1791年憲法改定し、自らを終身統領としたのです。
ナポレオンの功績について
そんなナポレオンは皇帝にまで上り詰めましたが、最終的には自分自身が広げていったナショナリズムによって滅亡してしまったのです。
ナポレオン戦争では2,000,000人の命が失われたとされており、その非道さから食人鬼などと呼ばれることもあります。
最終的にはセントヘレナ島に幽閉され、命を落としました。
ナポレオンの遺言によって遺体は解剖され、胃に潰瘍と癌があったことがわかっています。
公式には、死因は胃癌であったとされていますが、ヒ素による暗殺の可能性も指摘されています。
まとめ
いかがでしょうか。
一般的にフランス革命はロベスピエールが殺害され、恐怖政治が終わったところで終わったと考えられています。
しかし、ナポレオンが台頭したことにより、フランス革命はまだ終わらなかったという考え方もあります。
ちなみにフランスでは、ナポレオンに敬意を表するため、豚にナポレオンと名づけてはいけないという決まりがあります。