フランス革命におけるダントンとはどのような人物か

フランス革命において重要な役割を果たした、ジョルジュ・ダントンという人物を知っているでしょうか。

フランス革命というと、どうしてもマリーアントワネットやルイ16世ばかりが有名ですが、実はダントンとはフランス革命を導いた張本人として知られている人物です。

それならば、ダントンとは具体的にどのような人物なのでしょうか。

ここではダントンという人物について解説します。

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弁護士として活躍

もともとフランスのシャンパーニュ地方に生まれたダントンはパリで法律を学び、王室顧問会議付き弁護士として活躍しました。

哲学思想で有名なモンテスキューの著作を愛読したと言われています。

フランス革命が始まるとそれに共感し、平民としてフランス革命を率いていく立場になりました。

ジャコバンクラブに加入し、コルドリエ地区の議長に選ばれ、その後騒動に巻き込まれてイギリスに亡命しますが、1791年にはフランスに戻り、パリコミューンの第二助役に選抜されます。

人々がテュイルリー宮殿を襲撃したときには民衆を先導したと言われています。

ダントンの逮捕

ルイ16世の処刑が決まる裁判においては、国民公会議員に当選し、国王の処刑に賛成しました。

モンターニュ派の指導者として地位を作り上げ、ジロンド派とも接触しますが、最終的にはルイ・フィリップとともにオーストリアに寝返ったことで立場が弱くなってしまいます。

ジロンド派を追放した後はダントン派が出来上がり、恐怖政治の廃止などを呼びかけますが、それはなかなかうまくいきませんでした。

ロベスピエールとも協力しますが、最終的には収賄の容疑で逮捕されてしまったのです。

ダントンの処刑

1793年にダントンは逮捕されました。

裁判では雄弁をふるいますが、結局4月5日に死刑の判決を受けることになります。

ギロチンで処刑される際、ロベスピエールの家の前を通りかかった時は「ロベスピエール、次はお前の番だ!」と叫んだことでも知られており、最後まで堂々としていたと言われています。

ギロチンにかけられる直前には「俺の頭を後で民衆によく見せてやれ、これだけの頭は滅多にない」と述べたと言われており、これが最後の言葉だと言われています。

まとめ

いかがでしょうか。

フランス革命というと、どうしても貴族の目線でフランス革命を見ることが多くなりますが、ダントンという人物は平民の側でフランス革命を見ていた人でした。

彼こそ、フランス革命を成功させ、フランスを共和制に導いた1人であると言えるでしょう。

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