フランス革命が起きた直接的な原因とその結果とは?

現在、世界は右傾化している、という説があります。

その中でも話題に上がるのがヨーロッパ、EUの情勢です。

イギリスはEUから脱退、フランスも保守派の政治家が大統領候補としてずいぶん話題になりました。

フランスで現在まで使われている国旗は「自由・平等・友愛」を意味しています。

これはフランス革命時に掲げられたものです。

ではフランス革命とはいったいどういうものだったのでしょうか。

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フランス革命の直接的な原因

フランス革命は1787年から1799年までの一連の流れを指します。

その中でもこれが「革命」として大規模運動に発展した直接的な原因となった事件が「バスティーユ襲撃事件」です。

フランス革命では「革命前夜」と呼ばれる時期があって、バスティーユが襲撃される直前までを指します。

革命前夜までの流れで政治が緊張状態にある中、特権階級の面々は市民に対し、武力による圧力をかけようと軍隊をパリに集結させます。

そしてフランス革命における中心人物の一人でもあるジャック・ネッケルという人物が罷免されたことをきっかけに民衆が蜂起しました。

バスティーユはなぜ襲撃されたのか

バスティーユ、というのは牢獄でしたが、そもそもは要塞でした。

ここを襲撃することが革命の始まりといわれる原因は、武力による襲撃そのものと同時にもう一つ理由があります。

バスティーユにはフランス革命当時、火薬が格納されていました。

また以前は政治的に危険視された人物が収監されていたこともあり、旧体制の象徴ともいえました。

武器を持った民衆が火薬を調達するため、そして武力によって旧体制に抗うためにその象徴たるバスティーユを襲撃することは、双方にとって大きな意味がありました。

その騒乱の火種がもともと不満がくすぶっていたフランスの各地域に飛び火した結果、革命の流れがフランス全土に広がったというわけです。

その後の結果

結果としてバスティーユは民衆に制圧され、陥落しました。

しかしバスティーユにはわずかな囚人しかおらず、政治犯はいなかったそうです。

犠牲者も市民兵の方が多かったようです。

しかしながらこの事件がフランス王国にもたらした影響は計り知れませんでした。

これを機に政府は、これまでのような特権階級が優遇されていた旧型の社会制度の変更を余儀なくされました。

当時の国王ルイ16世は民衆に譲歩し、その結果、市民は政治への参加を確実なものとしました。

市政革命が行われ、これにより民衆は市政の実権を握ったといわれています。

しかしこれは特権身分のものたちの反感を買い、国王も民衆と王族たちの間で板挟みとなり、力を失っていきます。

そして結果的に10年以上の長い混乱の幕開けとなるのです。

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