フランス革命がイギリスに与えた影響と革命の違いについて

フランスとイギリスはドーバー海峡を挟んで隣り合った国で、古くから今日に至るまで互いに影響し合っています。

フランス革命が勃発したとき、イギリスではすでに2つの革命とアメリカの独立を経験した後でした。

イギリスで起こった革命とフランス革命とではどのような違いがあるのか、またフランス革命がイギリスに与えた影響とはどのようなものだったのでしょうか。

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2つの革命

フランス革命から遡ること約150年前、1641年にイギリスで清教徒革命が起きました。

その約50年後、フランス革命が起きる100年前の1688年にも名誉革命という革命が起きています。

この2つを合わせて「イギリス革命」や「ブリテン革命」とも呼ばれています。

清教徒革命の後あまり時間を置かずに名誉革命が起きたのは、実は清教徒革命が失敗に終わったからであり、1660年に王権が復活してしまいます。

そして名誉革命によって、イギリスでは現在のような立憲君主制、議会制民主主義が確立されます。

フランス革命とイギリス革命の違い

イギリスの革命も絶対主義からの脱却、という観点から市民革命のひとつであり、その点に関してはフランス革命との違いはありません。

また宗教的な面でもカトリック勢力の排除、という部分で共通しています。

残念ながらこれに関しては「アイルランド問題」という現在も続く禍根を残す結果となってしましました。

顕著な違いと言えば、清教徒革命に関しては3つの王国が関係している、という点です。

厳密に言えば清教徒革命は、イングランド王国、スコットランド王国、アイルランド王国の3つの国による革命であるということです。

しかしながら大陸にあるヨーロッパ諸国の干渉は受けず、グレートブリテン島の中で完結しました。

その点でも、他国から干渉を受けたフランス革命とは違う部分であると言えます。

また王制に関してもイギリスは立憲君主制を敷いており王制自体は否定していません。

絶対王政とは違い、三権分立によって王の権限は制限されていますが現在でもイギリスの君主はエリザベス2世となっています。

イギリスと対仏大同盟

さてフランスが他国から干渉を受けてしまったのはいったいなぜだったのでしょうか。

ひとつは地理的な問題です。

フランスは大陸にあり、現在でも多くの国と国境を接しています。

ヨーロッパはそういった事情もあり争いが絶えず、常に緊張状態であったと考えられます。

もうひとつは王家の問題で、ルイ16世の王妃はマリー・アントワネットで神聖ローマ帝国皇帝のレオポルト2世を実兄に持っていました。

その関係もあり、神聖ローマ帝国はフランスに内政干渉する場合もあるというピルニッツ宣言を出します。

こうしてマリーが他国と内通していたことから国王ルイ16世とともに処刑されます。

イギリスは当初は革命に寛容であり不干渉でしたが、革命政府が国王を処刑したことでフランスが立憲君主制を脅かすとして、また経済的な問題も含めて危機感を募らせます。

その結果、イギリスが中心となって対仏大同盟が結成され、長きに渡りフランスとヨーロッパ諸国は争い続けることとなります。

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