スイスと言えば、永世中立国として知られていますよね。
しかし、そのスイスの傭兵たちは実はフランス革命において大きな役割を果たしています。
それならば、スイスの傭兵はフランス革命のどの部分で活躍したのでしょうか。
ここでは、フランス革命におけるスイスの傭兵の役割について解説します。
8月10日事件
1792年8月10日、パリにおいて民衆と軍隊がテュイルリー宮殿を襲撃するという事件が起こりました。
マリーアントワネットやルイ16世たちが捕らえられ、タンプル塔に幽閉されたのです。
この時、フランスにおいてルイ16世が捕らえられ、王権が停止されてしまいました。
武装した市民たちが宮殿の中まで押しかけたため、いつ武装蜂起が起こってもおかしくはないということをルイ16世たちに知らせたのです。
これまでルイ16世は軍隊を出動させることによって革命を抑えることができると思っていましたが、これによって既に革命は深刻化しているということを再認識せざるをえなかったと言われています。
スイス傭兵の役割
この時、スイス傭兵たちは王室を守る立場に立っていました。
主にスイス人によって構成されており、特に15世紀から18世紀には様々な戦争に参戦しました。
ローマ教皇とフランスの王家に雇われた兵隊たちは規律厳守ということで非常に優秀であると言われていたのです。
フランス革命が起こり、民衆たちが武装してテュイルリー宮殿に侵入してきたときは、王家の防衛に携わりました。
ただし、いくら優秀な傭兵たちであっても、武装した圧倒的多数の民衆たちに勝つことができず、大部分が民衆たちによって虐殺されたと言われています。
ギャルド・スイス
1616年から1792年にかけ、フランス国王のために支えたスイス人たちの歩兵連隊をギャルド・スイスと呼びます。
フランス革命が起こったときには1789年の事件に参加し、パリの国民衛兵として配属されました。
歴史的には先ほども述べたように、8月10日事件での参戦が有名ですが、実はそれ以前にも既にフランスを守るために様々な戦いに参加しているのです。
8月10日事件が起こったとき、宮殿は約950人の傭兵たちによって守られていました。
そのうち約600人は戦死し、約60人は視聴者で捕虜となり、虐殺されました。
残りのものたちは1792年9月2日から起こった9月虐殺において殺害されたと言われています。
まとめ
いかがでしょうか。
スイスの傭兵たちがフランス革命に関与していたとは驚きですね。
彼らは忠実にフランス国王のために働こうとしていました。
しかし、彼らも立ち上がった民衆の力に勝つことができず、最終的には無残な殺され方をした人が多かったのです。