フランス革命はさまざまな要因によって起きました。
貴族もそのうちの一つであり、かつ重要なファクターであります。
フランス革命が起こった当時の貴族制度とはどのようなものだったのでしょう。
フランス王国の貴族
フランスの貴族制度は中世のフランク王国を起源としています。
君主に仕え、その見返りとして土地の管理、運営を任される封建制や国防や侵攻などの有事の際の軍事力提供を主な任としていました。
ただ近世に入ると貴族は軍事的にも経済的にも時代遅れになっていきます。
フランス王国の中には伝統的な貴族がいる一方で、新興貴族たちや裕福な資本家と婚姻関係を結んで財を得ようとする貴族も増えていきました。
新興貴族は法服貴族とも呼ばれ官吏になることでその身分が保証され、貴族の身分を手に入れることができます。
官吏とは現代でいうところの国家公務員のようなもので、優秀な人でないとなることができません。
よって伝統的な貴族ではないにしても彼らが特別な地位に見合った優秀さを持ち合わせていたため、貴族として身分が保証されていましたし、法服貴族は税金を支払うことで世襲することができるシステムでした。
爵位
一般的に「公・候・伯・子・男」の5つの爵位が有名で、明治以降の日本でも使われていました。
ヨーロッパでは公や伯はもともとフランク王国の役職として存在おり、それが時代を経て栄誉称号と結びついたと考えられています。
公爵は地方支配における軍指揮官であった大公、伯爵は地方支配における役人であった都市伯が由来といわれています。
侯爵は辺境伯が由来で、国境付近の軍事地区を辺境伯領と呼んでおり、そこの地方長官をそのまま辺境伯と呼んでいました。
異民族と接しており危険なため、同じ伯でも他の都市伯よりも地位が高い役職であったため、伯爵よりも高い位ということなのでしょう。
子爵は都市伯の副官であった副伯が由来で、男爵は最も位の低い爵位で自由身分として土地を所有する人たちを指しました。
フランスにおける貴族の特権
聖職者や貴族の特権がフランス革命の原因の一つであることは何度も述べてきました。
具体的に挙げられるのはまず免税です。
多額の借金を負ってしまったフランスはそれでも聖職者や貴族から税金を取り立てることはできませんでした。
政治的に彼らに反対されてしまったからです。
次に封建的特権です。
フランス革命以前の身分制度の中で貴族は自分たちの所有している土地の生産物を上納させる他に、その土地の地代を農民に支払わせていました。
また領主裁判権というのも土地の所有者たちは持っていました。
これは簡単に言えば、自分の領地の中では農民に対して絶対的な強制力を持っている、ということです。
フランス革命によって国民が平等になり、こうした特権も廃止となりました。