フランス革命は「革命前夜」といわれている期間を経て革命に至ります。
ではフランス革命はなぜ起きたのか、革命前夜の中でどのようなことがあったのか。
啓蒙思想が広まる
18世紀のヨーロッパにおいて啓蒙思想は切っても切り離せません。
特にフランス革命においては多大影響を与えました。
啓蒙思想とは簡単に言うと「人間の理性(知)による、人間性の解放」を目指す思想のことです。
ここでいう「人間性の解放」とは「信仰や権威に縛られない、自由で自立した人間」という意味です。
フランス革命以前のフランス王国は「絶対王政」といわれ、国王が絶大な権力を持っていました。
当時の啓蒙思想家たちはこうした封建主義体制に対して異を唱え、かつ啓蒙思想を政治に反映させようという動きを見せます。
ルソーやヴォルテールといった名前は一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
しかしながらこういった思想が知識人の間で盛んになっても、フランスはブルボン朝による絶対王政が続きました。
財政赤字と飢饉
18世紀のフランスは莫大な財政赤字を抱えていました。
その主な原因は過去の戦争の出費や宮廷の浪費です。
しかし特権階級である第一、第二身分の聖職者や貴族たちは免税対象でしたので、第三身分である平民からの税収にしか頼ることができませんでした。
この時点で歳入のおよそ9倍もの借金があったといわれています。
平民はすでに重税を強いられていたところに、1783年アイスランドのラキ火山が噴火。
この災害によってヨーロッパは数年の間異常気象となり農作物の不作が続きました。
フランスでも不作による飢饉が起こり、民衆はさらに疲弊していきます。
三部会から国民議会、そして革命勃発へ
長く続く財政赤字や課税の不平等、火山による飢饉で市民の不満は募るばかりでした。
国王はそれでも財源確保のため何度か第一、第二身分から徴収しようと試みましたが、ことごとく特権身分のものたちに反発され可決されませんでした。
そこで三部会を開催し、課税に関する議決を三部会に委ねることにしました。
三部会というのは身分制議会のことで、その起源は14世紀に王が国民の支持を得るために、第一、第二、第三身分の代表を召集したのが始まりといわれています。
しかし三部会を召集しても議会は思うように進みませんでした。
結局のところ議決方法が特権身分に有利に働くシステムになっていたからです。
そして第三身分の代表たちは三部会に見切りをつけ、「自らが国民の代表である」として国民議会を発足させ、憲法制定まで解散しないこと、国民議会を正式な議会であると承認するまで解散しないことを宣言しました。
国民議会が承認されると、これに反対する強硬派の貴族たちは第三身分に対し武力による圧力をかけようとします。
この武力を背景に、特権身分の課税などの財政改革を行ったことで民衆に人気のあったネッケルが罷免されます。
これをきっかけに民衆が武器を取り、ついに革命がはじまることとなりました。