フランス革命において、バスティーユ牢獄が攻撃されたのは一体なぜだったのでしょうか。
バスティーユ牢獄というのは絶対王政の象徴とも考えられていました。
その頃のフランスは財政が破綻しており、国王ルイ16世は特権階級である貴族たちからも税金を取ろうとしたのです。
しかし貴族たちがそれに反発したことにより、ルイ16世は1614年以来の三部会の召集を決めました。
しかしうまくまとまらず、最終的に国民たちはバスティーユ牢獄を攻撃するに至ったのです。
それはいったいなぜだったのでしょうか。
ここではバスティーユ牢獄が攻撃されたた理由について解説します。
財政破綻
ベルサイユ宮殿で貴族たちが贅沢な生活をする一方で、フランスの財政はすでに破綻していました。
政治的緊張が続いている中、ルイ16世は独断で財務総監ネッケルを示し、これが人々を憤慨させるきっかけとなったのです。
絶対主義に対する不満を持っていた人々は、弾薬を調達するためにバスティーユ牢獄に向かいました。
バスティーユ牢獄というのは絶対王政の象徴であり、同時にパリの砦でもあったのです。
つまり、このバスティーユを襲撃して征服するという事は、その街を支配する者、つまり国家を支配するということでした。
だからこそ、国民の不満はこのバスティーユ牢獄に向かっていき、これが攻撃されるに至ったのです。
武器の引き渡しについて
市民たちがバスティーユにたどり着いた時、司令官に武器の引き渡しを求めました。
司令官は市民の代表、3人を招き入れてもてなしましたが、武器の引き渡しを拒否したのです。
バスティーユの外では群衆の数がどんどん増え、興奮状態が続いていました。
そして2人の男性がバスティーユの壁を乗り越えて中に入り込み、最初の跳ね橋を落としたのです。
これによって群衆が内部になだれ込み、バスティーユ牢獄の襲撃が始まりました。
激しい銃撃戦が続き、死傷者が増えていったのです。
フランス革命の始まり
このように、バスティーユ牢獄の襲撃がなぜ起こったのかというと、もともとは財政破綻が原因でした。
そして聖職者や貴族たちに虐げられてきた平民たちが立ち上がったのです。
バスティーユ牢獄が襲撃された後、この知らせはすぐにルイ16世のもとに届きました。
国王が「暴動か?」と側近に尋ねたところ、側近から「いいえ、陛下、これは暴動ではありません。革命でございます」と答えたという話は有名です。
これによってルイ16世はネッケルの復職を決めました。
平民たちは武力講師も行うと言った姿勢を崩すことがなく、ルイ16世は徐々に力を失っていったのです。
まとめ
いかがでしょうか。
財政破綻がきっかけとなってバスティーユ牢獄の襲撃が起こり、フランス革命が始まりました。
フランス革命は平民が立ち上がって自分たちの生活や命を守ろうとした革命と言えるのです。